マダム大学院生のグローバルな日々

無閑マダムの博士への道

日系アメリカ人(1)

移民
私が初めて日系アメリカ人と接したのは学生時代のアメリカ西海岸ホームステイ。私のホストファミリーは白人の家族で、14歳の男の子を頭に、12歳の女の子の双子、10歳の男の子とお父さんお母さん、さらに馬、犬、猫、などを広大な庭に飼っていました。その一家が親しかった日系人の家族が近所に住んでおり、そこにステイしていた友人と私は親しかったので滞在中に行き来をすることが多かったのです。

そのツアーでは帰りにハワイに3泊程する予定になっており、そのご夫婦は「ハワイに行ったら私の両親を訪ねてね。ハワイは西海岸よりいい所よ」ということで、ハワイでは友人とおじいさんおばあさんの家に遊びに行き、昼食(朝食?)に卵かけごはん、夕食は近所の日本食レストランでフリッターもどきのエビてんぷらを食べた記憶があります。家にはグァバの木があり、お土産にいくつかいただきました。

今日は友人と一緒に日系アメリカ人の大学の先生の講演を聞きに行きました。午前中は日本人の先生の説明、午後はシンポジウムでした。日本からの移民が始まったころは密航もあり、小さな船で90日もかかったそうです。食糧、特に野菜はもたないため、到着できたとしても脚気でふらふらしていたとのこと。学生さんたちに「小船で、到着するかどうか分からないが到着したら1億円もらえるとして、アメリカに小船で90日間行こうと思う人!」とたずねると「微妙」だそうです。

戦争中、強制収容所に日系アメリカ人が入れられたように、9.11後、イスラム系移民に対する圧力が強まり、日系人コミュニティからイスラム系コミュニティに励ましの千羽鶴が手渡されたというビデオも会場で上映されていました。

写真はアメリカ西海岸のサンノゼの日系移民博物館のものですが、A Gentle Word for Prisonという文字が見えます。強制収容所とは「刑務所」の「やさしい」呼び方である、ということで、罪もない日系人が収容されたことを表しています。80年代から90年代にかけてはアメリカ政府は日系移民に正式に謝罪し、一人200万円ほどの補償をしていることは評価できます。

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テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

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Author:とらいふる
長~い職務経験をへて、現在、大学院博士課程に在籍中 (教育学)。

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