マダム大学院生のグローバルな日々

無閑マダムの博士への道

アエロ・フロート・ロシア航空

90年代初めにケニアへ行った時、アエロ・フロート航空を利用していました。まだ、ソ連だった時代です。
1991年にアエロ・フロート・ソビエト航空として設立されたとのことで、私が初めて利用した時は1992年だったので、設立されてまもなくだったのです。

当初はモスクワに一泊、というよりはシェレメチボ空港に一泊していました。トランジット・ホテルをつけるシステムがなかったのか、空港のベンチに母と二人で座り、交代で免税店などに行っていたのです。そして夜明かしをするという、ハードな旅でした。免税店は充実していて、かなり広く、現在のヨーロッパの空港並みに楽しめるものでした。ハーゲンダッツのアイスクリームを食べることもできました。

今ではまったく事情は違うのでしょうが、考えてみると驚くようなことばかりでした。

まず、スーツケースなどの大きな荷物は、なんと、自分で滑走路を歩き、乗せたのです。当時、日本食などをぎっしりつめたので行きにもかかわらずそれぞれ20キロのスーツケースを持っていました。母の分まで乗せたので40キロ分、スーツケースを飛行機のタラップではない入口に乗せたわけです。

そして、ある時、遅延でミール・クーポンが出ましたが、その内容もまた、驚くべきもので。

サンドイッチ用のパンをさらに薄切りにして、6等分してトーストしたようなパン。量は普通の一切れのパンの6分の1ほどです。それに、「クリア・スープ」と言えば聞こえはよいですが、具がほとんどないスープが薄いお皿にでてきました。それで「ミール」です。しかも、給食の食器のようなアルミで厚さは給食の食器の3分の1ほど。ユリ・ゲラーさんでなくてもスプーンが軽く曲がります。

機内食はボリュームもあり、ボルシチが出たり、比較的充実していたので、よけい驚きでした。

その後、トランジット・ホテルが7,000円でつけられると、航空券の会社の担当者に言われ、ベンチで夜明かしを避けようと予約しました。ところが、実際は、ホテルを予約した人は大勢、空港の地面に6時間ほど座り込む羽目に。その後、(日本は夏でしたが)雪の中、マイクロバスでホテルに送ってもらい、約3時間の仮眠となりました。シャワーを浴びようとすると、冷水しかでず、断念。ミネラルウォーターを飲んで休むこと2時間ほど。各部屋を係りの人がノックし、夜中の2時に出発でした。

あれから数十年。

今は「驚くほど」改善されているのでしょうね。

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テーマ:ロシア - ジャンル:海外情報

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Author:とらいふる
この秋で大学院博士課程を満期退学。
もう院生ではないので
博論終わったらブログ引っ越します。

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