マダム大学院生のグローバルな日々

無閑マダムの博士への道

子ども時代を過ごした場所

昨日は車で3時間ほどかかるところへ初詣に行くということで、出かけたところ、渋滞にはまってしまい、途中で断念しました。私としては、全国から人が集まる初詣の場所として有名なお寺に、歩いて30分で行かれるのに、よりによって、そんな遠いところへ、と思っていたので内心ほっとしていました。そういうわけで、「途中下車」し、小学校2年から高校1年まで住んでいた場所へ数十年ぶりに訪れることができました。住んでいた場所だけでなく、小学校、中学校にも訪れ、懐かしかったです。住んでいた場所の周辺は変わったところもありましたが、ほとんど昔のままでした。
中学は「囲碁・将棋全国大会出場」という垂れ幕が目立っていました。

当時の小学生は女の子だとほとんどスカートで過ごしたのですが、よくスカートであんなことを、と思うようなおてんばなことをしていました。たとえば、近所の病院の塀を友達と一緒に乗り越えて、着地に失敗し、わき腹を打ったこと。平屋建てで低い建物ではありましたが、集会所の壁をよじ登り、屋根の上に立ったこと。ローラースケートで走り回ったこと。おてんば」の場面にいつも登場していた友人については、途中から記憶の中に登場せず、引っ越していったのか、越境して他の地区の中学に行ったのか?少女版「トム・ソーヤの冒険」のようで、いろいろなおてんば遊びのアイデアが浮かぶ女の子だったと思います。「朝の6時に近所の公園で遊ぼう」と誘われたのですが、寝坊していかれなかったこと。そののちに別の子と3人でもう少し遅い時間に遊んだことなどがおぼろげに浮かんできます。

当時あった米軍基地の敷地内にその子と入り、ことばが通じないのにアメリカ人の女の子たちと一緒に遊び、基地内の売店ガムを買ってくれたこともありました。その時のピンクのバブルガムのおいしかったこと。その後、そのガムと再会するのに10年ほどかかっています。中学の通学路として使っていた基地の通路では白人のきれいなおばさんが四つ葉のクローバーをくれたことも懐かしい思い出です。小さいラジオ局の中に黒人のDJらしき人がよくいました。

米軍基地がずいぶん前に閉鎖されていたので、空き地は閉鎖されていました。空き地で野蒜やつくしを取って食べたり、よもぎをとり、母が草団子を作ってくれたり、凧揚げをしたり、のびのびと遊んでいたことを思い出します。今の子どもたちは原っぱでのびのび遊ぶという経験をしているのだろうか、とつくづく思いました。

今日は近所に初詣。駅の反対側に行くだけでそこは観光地。普段は2,3人しか人が歩いていないときもあるのにお正月は何十万という人出です。
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この秋で大学院博士課程を満期退学。
もう院生ではないので
博論終わったらブログ引っ越します。

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