マダム大学院生のグローバルな日々

無閑マダムの博士への道

コンテクストの共有

今回の講座は約40名でしたが、その中には中国語、ポルトガル語が母語の人が10人ほどいました。その方々は日本在住20年とか、日本の大学で歯科医の資格をとったなどというわけで、日本人でもかなりハードな講義を日本語で4日間聞くのに耐えられ、理解できる人たちでした。電子辞書は皆さんお持ちでしたが。

あるお役所の方(日本人の若い男性)の講義では、最初の出だしからかなり早口で、しかもセンテンスの区切りがわからないほどでした。さっと手を挙げ、「ゆっくり話していただけますか?」と申し出たのは日本人の若い女性でした。その後も3人がけの机で私の他2名も日本人の方だった時、「今、○○って言われたんですよね?」と確認しないと聞き取れない時がありました。もともとはベテランの女性のお役人さんが講義の予定が、急遽仕事が入り、ピンチヒッターとのことでした。

不思議なことに、外国人の方からはそうした声が聞こえなかったのです。遠慮して言わない、という感じではありませんでした。

母語の方がバラエティ(変種)への許容度が少ないのでしょうか。日本語だと方言がわかりづらかったり、アクセントがちょっと違うとわかりにくかったりします。外国語の場合は自分がもともとは学習者でネイティブではないと許容度が高かったり、多少、発音やアクセントが違っても理解できたりします。

たとえば、昔、アメリカ人と日本人の半々くらいの10人ほどで夕食を食べたことがあります。その時一人だけニュージーランド人がいましたが、アメリカ人は彼が話すたびに聞き返していました。私は最初はぎょっとしたものの、すぐに聞き取れるようになりアメリカ人に伝えてあげましたが。

あとはコンテクスト(文脈)の共有がないと聞きとるのが難しいことがあります。今回は入国管理の話だったので、私は詳しいことは知りませんでした。外国人の方はこの分野について詳しかったのかもしれません。

夫は会議などでは朗々と大きな声で話すことを知っていますが、我が家では、ぼそぼそと話すので、3回くらい聞き返すことがあります。その挙句、「それって何のこと?」と聞く時さえあります。要するにコンテクストの共有がないのです。

男女の会話は異文化である、という指摘は社会言語学でなされており、デボラ・タネンのYou Just Don't Understandに詳しく書かれています。元(?)キャスターの田丸美寿々さんの翻訳がありましたが、今は絶版になっています。そうしたこともあるのかもしれません。

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この秋で大学院博士課程を満期退学。
もう院生ではないので
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